これは、ある人物の若い時の回顧録です。
若い頃の私は何をやってもうまくいかなかった。
小中学校の頃はいつも喧嘩ばかりしていて、 勉強などできるわけがない。
それどころか私は学校で授業をじっと聞くことすらできなかった。
今で言うADHD(多動性症候群)だったのかもしれない。
45分の授業中、おとなしく机に向かっているのが苦痛でたまらなかった。
いつもそわそわキョロキョロしては先生に怒られてばかりいた。
通信簿の備考欄では毎回落ち着かないと指摘されて、親を悲しませていた。
そして、私には友達がいなかった。
当時流行っていたテレビ番組や漫画なんかも興味がなく、
クラスメートと共通の話題で盛り上がるようなことなかった。
仲間内で群れたりするのは大嫌いだった。
どうも自分は浮いているな、ずれているな、
そんな疎外感や孤独感のようなものを常に引きずっていたような気がする 。
学校に馴染めず、社会に出てからも組織に適応できなかった。
金もなく女性にもモテない。
自分には何もないし、 何をしたらいいのかも分からない。
大学は業後したが、就職した小さな不動産会社は入社後すぐに倒産してしまい、
29歳の時、1人で雑貨屋の商売を始めるまでの約5年間は、
定職にも就かず麻雀で食いつなぐプータローの生活だった。
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その小さな雑貨屋では、商品を仕入れてもさっぱり売れなかった。
従業員を雇う余裕もないから1人で店番するしかない。
万引きが多いのでトイレにすら行けない。
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それから約40年が経ちました。
28歳までプータロー!! この若者の親御さんは、さぞ心配したことでしょう。
そのプータローが29歳の時に始めた小さな雑貨屋は 今は巨大な量販店となり、
2019年度の売上高は 1兆3000億円を達成しました。
その雑貨屋の今の店名はドン・キホーテです。
ある人物というのは ドン・キホーテの創業者 安田隆夫です。
子供たちは一人一人が違う個性・能力を持っています。
子供たちは一人一人が違った無限の可能性を秘めています。
親のエゴで子供の個性をつくり・方向性を決めてしまってはいけません。
親は子供の個性をつくることはできません。
でも個性を生かせば能力をつくることは可能です。
子供が持つ個性・可能性は親の望んでいるものとは方向性が全く違う場合もあります。
親にできることは、子供が持っている個性を見極めて、
「本気のやる気」を引き出してあげることです。
子供たちが持つ無限の可能性を見つけて伸ばしてあげることができたら、 すばらしいことです。
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