医学部に現役合格した娘さん、その強い意志はどのように培われたのか? 千葉大学医学部

「成し遂げたい」と思う本人の強い意志が大きな成果を生む

娘が千葉大学医学部に現役合格しました。

都内の中高一貫校の女子校出身です。

偏差値は70前後の学校でした。

 

幼児期

小さいころからどちらかというと手のかからない子でした。

一つのおもちゃでじっくりと遊ぶことが大好きでした。

 

私自身が幼稚園教諭だったこともあり、

乳幼児期の大切さはよくわかっていたつもりでした。

ですから、赤ちゃんの頃から様々なものをたくさんインプットしてきました。

 

子育てで一番最初にお金をかけたのは娘が生後3か月の時に、

ディズニーの英会話システムをフルセットで購入したことです。

 

金銭的に余裕があったわけではありませんでしたが、

教育にはお金を惜しまない、

というのは夫婦で一致した意見でした。

 

せっかく数十万もする教材を買ったのですから使わない手はありません。

ディズニーの英会話システムはかけ流すだけでよかったので、

家にいる時にはエンドレスでCDをかけっぱなしにしておきました。

 

ディズニーの英会話システムは高額ではありましたが、

中学入学直後まで聞いており、

他に英語は一切習っていませんでしたが、

基本的に英語の授業で詰まることはなかったようです。

 

また幼児期になると本屋さんで売っている学研や

くもんのドリルなどはふんだんに与えていました。

 

特にどれがいい、という基準があったわけではなく、

市販されているものはどんどんやらせました。

 

本人はやらされているのではなく

遊び感覚で取り組んでいました。

 

娘がその後も「あれはよかった!あれがあったから算数と数学が好きになった」

と何度も言っていたのは

算数オリンピック数理教室アルゴクラブが監修した

「「考え抜く力」が身につく!天才くらぶ チャレペーシリーズのドリルです。

 

これは父親と一緒に楽しく取り組んでいました。

幼児期に数的センスを磨くことができた教材でした。

 

この教材を楽しく取り組んでいるあたりから、

私は「中学受験」というのを意識し始めました。

 

小学生時代

娘が公立小学校に通い始めた頃から

中学受験について調べ始めました。

 

まずは小学校低学年の子どもに「中学受験」とは何か、

どんなものかを知ってもらうために

日能研の「科学者講座」という小学校低学年向けの

理科系の講座に通うことにしました。

 

週に一度日能研に通うことで、

例えば壁面に貼られている合格実績や

ロビーに置かれている中学校の学校案内などに

自然に触れることができました。

 

また、楽しそうに先生方とおしゃべりする高学年のお兄さん、

お姉さんの姿は娘の憧れの存在となっていきました。

小学校2年生の一年間で、

中学受験塾や中学受験がどんなものかなんとなくわかり、

「なんとなく楽しそう」という動機づけをしました。

 

小学3年生からは栄光ゼミナールの国語と算数の教室に通い、

そこからは塾にお任せになっていきました。

 

栄光ゼミナールでは中学受験を見据えていることをお話していたので、

小3の1年間で先生方からも中学受験へのアプローチをしてくださいました。

 

その後小学4年生からは本格的な中学受験の勉強が始まりました。

栄光ゼミナールはプリント整理などの

親の役割がほとんどなかったので、

規則正しい生活をすることや

栄養バランスのとれた食事を作ることを意識して過ごしました。

 

娘は栄光ゼミナールのカリキュラムに乗っかって受験勉強にいそしんでいきました。

小6の1年間は、週末は遠方の教室まで

電車を乗り継いで志望校対策の講座にも通っていました。

 

小6の夏休みの総勉強時間は400時間を超え、一日10時間以上勉強していました。

親としては「やらされている」と思わせないことを意識していました。

 

本人が自主的に楽しく勉強できるように「よく頑張っているね」

「将来どんな職業にもつけるね」「楽しみだね」と、

とにかく褒めてモチベーションを上げていきました。

お陰で偏差値70前後の女子校に無事に合格しました。

 

中学生時代

中学に入ってからは学校がとても丁寧にかかわって下さったので

親の出番はほとんどありませんでした。

 

いい環境に身を置くとお友達にも本当に恵まれ、

中高の6年間をいい流れで過ごすことができました。

 

中1の時は通学になれ、学校になれるだけで精一杯でした。

中2になるとお友達が増えて、遠方に遊びに行く機会も増えました。

 

中3は公立中のお子さんが高校受験に必死になる中、

いわゆる中だるみの時期を過ごしました。

 

高校生時代

高校生になると状況は一変。

大学入試を意識するようになり、大学受験の予備校「鉄緑会」に通い始めました。

 

高2では理系を選択し、お友達の意識も高く

そのまま高3に突入して大学受験に臨みました。

 

大学受験は親の手はほとんどかからなくなり、

お弁当作りと褒める言葉かけくらいでした。

大学の情報収集なども本人がやっていたので親はノータッチだったほどです。

 

さて、医学部に行ったのはもちろん本人の希望ですが、

最初から医学部志望だったわけではありません。

 

でも、私も夫も「医学部に行って欲しい」という野望は持っていました。

この野望をどう実現するか、ということは

私の子育ての一番大事な肝だったような気がしています。

 

親に「医学部にさせられた」などという気持ちでは

到底合格できるところではありません。

本人が「医学部に行きたい!」と思ったからこそ合格できました。

 

そのために、普段から医療系のドラマを家族で見て話しをしたり、

お医者さんの生活を知るために

ネットでいろいろな情報を仕入れては小話のように娘に話をしてきました。

 

サラリーマンの夫はサラリーマンのデメリットを強調していたかもしれません。

そんな話をするうちにだんだんと娘の希望は医学部に向いていったように思います。

 

また鉄緑会で東大理Ⅲの先生方に

医学部の面白さなどの話を直接聞けたことも大きかったようです。

 

鉄緑会に通い始めて、改めて娘が自分から

「千葉大の医学部に行きたい!」という言葉を聞きました。

 

中学受験をしたこと、医学部に行ったこと、

この2点は親が希望したことでもあり、

さりとて本人の気持ちをないがしろにしたわけではなく、

本人がそう思うように環境を整えていったことが

我が家の最大の子育てだったように思います。

 

ちなみに、下に妹がいますが、同じような環境にいましたが、

あまり勉強は得意ではありません。

 

そこは無理強いをすることなく、ありのままに育てています。

ただ、やはり医療関係には興味があるようで現在看護職を希望しています。

 

私が子育てをするうえで一番心掛けてきたことは、

子どもの人生なのだから主役は子どもであるということです。

 

国立大学の医学部に合格するまで私も夫も「勉強をしなさい!」

「〇〇をしなさい!」と何かを強制したことはありません。

 

あくまでも子どもが自分で取捨選択できるように環境を整えていった、

外堀を埋めていった、ということだけです。

 

ただ、子どもの人生にとって偏差値や勉強の出来不出来が、

幸か不幸を決める尺度ではありません。

 

とくに我が家の場合姉妹で全く違った特性を持っていました。

妹は中学受験はせず、地元の公立中学校から公立高校へ進学しています。

 

環境を整え、外堀を埋めてみたけれど

学習面での伸びはあまりないタイプでした。

 

しかし、姉と違ってスポーツができ、部活動に熱心に取り組んでいます。

それはそれでよくて、姉妹を比較したことも一度もありません。

 

子ども一人一人の特性を見極めながら子育てをしていくことも大切です。

 

娘は今、大学受験が終わりバイトや遊びで忙しそうにしています。

大人としてきちんとした話もできるようになり、

子育ての終幕を感じる今日この頃です。

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