難関私立大学に合格した娘さん 子育て体験エピソードをお父さんが語る

何事にも積極的で明るい性格、反面教師の家庭?で立派に成長した娘さん

一人娘を持つ55歳になる父親です。

2年前に早稲田大学文化構想学部を卒業し、現

在は東京で働いています。

1.幼少期について

とにかく、元気で明るい性格の女の子として、東京で生まれました。

いつも乳児用ベッドで跳ねていて、

ベッドからはみ出して泣いてしまったこともありましたが、

基本、いつでも、どこでも笑っていました。

 

歩き始めたころでも、近所にある階段を見ると、

ひとりで、どんどん歩いて行ってしまって、

電車に乗れば、笑いながら、車両から車両へと走っていってしまって、

止めようとしても、笑いながら、逃げていってしまうような子でした。

 

あまり、人見知りもせず、すべての人に笑いかけていました。

でも、子供なりによく考えて遊んでいたのだと思います。

 

当時、新宿の地下(JR線や京王線、小田急線が交差する場所)は、

ホームレスで一杯だったのですが、

京王線の駅を出ると娘はいつものように

すごい勢いで笑いながら走りだしました。

 

親である私や妻は子供の後を追いかけるしかありません。

しかし、あるホームレスさんが、

5メートルほど先にいることを認識すると、

きちんと止まり、ぶつかるのを避けて、

追いついた親の方を見る。そんな子でした。

2.生活環境

1)私自身も認識しているし、妻もそうですが、

私の家庭は反面教師の家庭でした。

父親である私は、いつもいい加減で、夜は酒飲み、

会社は遅刻、お小遣いはすぐ使い切てしまうような

計画性もない人間でした。

 

でも、一度も娘を怒ったことはありません。

一方、妻は、あまり家事ができず、

食べ物はスーパーで中食を買ってきて、

掃除は苦手で、それでいて、几帳面すぎる面もあり、

ちょっとヒステリーで娘を怒りつける場面も時々ありました。

 

でも、娘のことにはいつも、一生懸命でした。

娘はいつも母親に相談していましたし、

母親に怒られても、気にもせず、笑っていました。

 

私は、子供が遊んでいるのを見ているのが好きで、

娘はよく母親に“パパがずっと見てる”と言い、私は妻から怒られる。

そんな場面は何度もありました。

 

2)生活が一変するのは、娘が2歳の時です。

私が浮気をして、妻と娘は、家を出ていってしまったのです。

娘と妻は、名古屋の実家のそばに安いアパートを借り、

二人で生活するようになりました。

 

ただ、私は、1年の内、年末年始、ゴールデンウイーク、

お盆の時など、名古屋に帰ってきて、娘と一緒に遊びました。

ラジコンで遊んだり、キャッチボールをしたり、映画へ行きました。

 

よかったと思うのは、妻の実家のおばあちゃんやおじいちゃんに

すごく可愛がってもらえて、また、近所の人にも、

「・・・さん」と自分から声をかけられるような子に育っていきました。

 

近所の方にも本当に感謝しています。

今の娘の性格は、近所の人にも可愛がってもらえたからこそ、

社交的に育っていったのだと思います。

3.小学校、中学校時代の娘

娘はとにかく、元気で、”学校で一番好きなイベントは運動会”

だと娘は言っていました。

 

私も運動会の日は、休みを取り、

東京やその後転勤になった関西から名古屋に戻って、

娘の運動会を見に行きました。

 

特に娘が注目をあびるのが、選手リレーです。

小学校1年から中学3年まで、いつもリレーの選手でした。

 

もちろん、高校になっても、選手リレーの花形でしたが、

そのころには夫婦で運動会を見に行く習慣はなくなっていました。

娘は、友達や先生たちから「足早いね。」と言われて、

いつも素直に喜んでいました。

 

授業中はおとなしいというのが小学校の先生の娘に対する評価でしたが、

娘にとって、運動会の日は自身がヒーローになれる日でした。

 

娘は感じ方が、素直で、人から褒められて、

自信をつけていったのだと思います。

4.娘の高校時代

娘の高校は、市内でも4本の指に入る公立の進学校で、

学校も賑やかな街の中にあったため、学校に行くのが楽しそうでした。

 

友達にも恵まれ、今も何人かの友達とは付き合ってます。

活動的な娘は部活にも二つ所属していました。

放送部と体操部です。

 

親から見れば、いい高校生活に見えるのですが、

しかし、楽しいことばかりでもなかったようです。

 

よくある話かもしれませんが、進学校に入ってくる生徒さんは、

中学校ではクラスでもトップクラスの子たちばかりです。

 

しかし、高校に入ると、

・みんなのレベルについていけずにいじけてしまう子

・自分は優秀だと思っていたのに実はあまりできなくて自信をなくしてしまう子

・本当の性格は、クールキャラなのに、まわりに適応するために、ボケキャラ、

イジラレキャラに転身してしまう子 などなど。

 

高校に入って、娘も若干、クラスでイジラレキャラを演じたこともあったようです。

また、ストレスが溜まって、高校の制服を着て、

卒業した中学の先生をしばしば訪れて、

中学へ行くときは、優等生ぶった自分、

高校へ行くときは、愛されキャラになって

心のバランスを取っていたようです。

 

しかし、得意なことがあれば、どこでもヒーローになれます。

娘は、小学校の時から児童劇団に通っていました。

 

高校2年の時、「学園祭(文化際)でなにをやるか」を話し合う際、

迷わず、劇をやることを提案したのです。

 

私の時代もそうでした。

一度はやってみたい学園祭での劇。

クラスのみんなもそういう気持ちがあったのか、

娘のクラスは劇をやることになりました。

 

そして、娘は、主演、監督、脚本、カメラ指導。

大道具さんや小道具さん以外の仕事を全部引き受けたのです。

 

私も妻と一緒に娘の学園祭を見に行ったのですが、すばらしい出来でした。

劇が終わった後、構内を歩く娘は多くの友達に声をかけられ、

褒められていました。

 

クラスメートにも劇がやれてよかったと言われていました。

いつものように明るく笑っていた娘でしたが、

その時は達成感も加わり、幸せ一杯に

私には見えました。

 

翌年、娘は高校3年生になりました。

みんな自身の受験のことで頭が一杯な時期です。

 

娘は、また、クラスのみんなに訴えかけました。

「学校の指導では、3年生は劇をしないことになっているかもしれないけど、私はやりたい。」

そう言って、みんなを説得しました。

 

毎晩、娘は真剣な様子でこたつの机に向かっていました。

受験生は大変だなと思ってのぞき込むと、劇の台本を書いていました。

 

多分、他の同級生は受験勉強をしている時期なのですが、

私も妻もそれはそれでよいと思ってました。

 

もちろん、翌年も妻と一緒に娘の学園祭を見に行きました。

すごくいい内容の劇でした。

クラスメートが、「高3でも劇ができてよかった。」と言っていました。

5. 娘 浪人生となる

その年、娘は統一試験も受け、そして、6-―-7校を受験しましたが、

結果は全滅でした。

 

2月になり、女の子だから、現役で学校に入った方がよいのではないかと周りの意見が

あました。その時点で受験できる予定になっていた日大の芸術学部を受験し、

合格しました。

 

その時の面接試験で、試験官に「もっといい学校でも行けるのに?」

と言われて、逆に励まされて、娘は浪人することを決意しました。

そして、河合塾に通うことになりました。

 

授業の他の時間は、夜7時まで、塾の自習室で勉強することを決め、

毎日通いました。

 

受験科目は最初から国語、英語、世界史に決めていて、

世界史がおもしろい。と言っていました。

予備校の先生も素晴らしい方だったようです。

 

私自身も昔から世界史好きでしたので、

夕食の時など、家族で歴史の問題などの話などをして楽しかったです。

娘は、着実に歴史通になっていきました。

 

次の年も6,7校、受験したのですが、ほぼすべての学校に合格しました。

語学で有名な私大に合格した時には、家族一同で喜びました。

6.やっていてよかったと思う習い事

娘が小さい時から通っていた習い事は、いくつかありました。

いつも妻が、習い事を行う教室まで、車で送って行きました。

 

ピアノ, バレイ, 英会話, Modernダンス, よさこい踊り,

児童劇団などなど

娘は、元々、体力のある方でしたし、根気のある性格だったので、

途中で辞めたいと言うような子ではありませんでした。

 

ピアノについては、経済的な問題で、

きちんとしたピアノを長い間、買ってあげられませんでした。

 

スーパーで中古のパソコンを販売していた時に、

娘が鍵盤をたたいているのを見て、販売員のおばさんから、

安くてもいいから、きちんと鍵盤へのタッチができるものを買ってあげなさい。

とアドバイスされ、かなり後になってからタッチの練習になるピアノを購入しました。

保育園の時から、ピアノを始めた娘でしたが、

なかなか他の子のようにうまくならず、高校生になってからも通っていました。

 

高校3年になって、ヤマハの6級に合格しました。

よく、頑張ったのだと思います。

 

中学2年生になってからは、学習塾に通いたいと言い出し、

最初は1科目だけだったのに

勧められて3教科取ることになりました。

 

時代が違うのかもしれませんが、塾の費用が高額で、

私は娘に自分の力で勉強して欲しい。と言いましたが、

妻と娘の考えは逆で、結局、塾に行くことを続けました。

 

どの習い事がよかったかを特定するのは難しいですが、

ピアノを最後まで続けたことは、

本人もやり遂げた達成感を感じることができたでしょうし、

親としても大変うれしいです。

7. まとめ

私の母親の受け売りになるかもしれませんが、

女の子は、可愛く育って、

みんなから可愛がってもらえる子になることが一番大切だと思います。

 

多少、勉強ができなかったり、仕事ができなかったりしてもよいので、

娘には、きちんと結婚して、子供を持ってもらって、

子供を育てて欲しい。と思います。

 

予備校通いのとき、時々、娘を車で送っていきました。

「きちんと勉強できる学校だったらどこでもいいよ。」

と私が言うと、「そうだね、私もそう思う。」と言っていました。

 

有名校を卒業できて本人も非常に喜んでいましたが、

やはり、子供が有名校に入るまでは、莫大な教育費がかかることだし、

娘の同級生の親の話を聞くと、多くが高収入の方です。

 

同級生たちが卒業旅行に3回も4回も行くという話を娘から聞きましたが、

私は若干の違和感を感じました。

 

振り返ってみると、娘の教育について、

役割分担を話し合ったことはありません。

 

ほとんど、妻が学校のこと、課外活動のこと、

学校外活動のこと、すべての面倒を見ていましたし、

娘の方も母親に相談するのが好きだったようです。

 

私は、たまに、娘を泳ぎにつれていったり、テニスに行ったり、

子供にとって、私はただの遊び相手だったと思います。

 

娘がきちんとした学校に入学、卒業できて大変名誉なことだと感じていますが、

それよりも何よりも、娘が元気で、病気もせず、

のびのびと育ってくれたこと、皆さまに可愛がって育ったことを

深く感謝しております。

 

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