不登校になってしまった息子さん、その原因は?

現在、浪人中の男子です。すでに成人しています。

繊細な性質です。

幼い頃から、刺激に対して敏感でした。

 

怖れもあって、自分から積極的に物事を試したり、

冒険することはありませんでした。

 

ただ、幼児の頃、親が一緒についてくれるという安心感があれば、

少々のことはできるようになりました。

 

そんな息子を見て、夫は「前に出ることができない子だ。

人になじめないな」と心配していました。

 

夫も私も人見知りはあっても、なじめないようなことはありません。

私は、子供は慣れれば人になじめるものと思っていたので、

夫の言うことが理解できませんでした。

 

今、息子が繊細で、様々な刺激に敏感かつ恐れを抱く性質だと知り、

夫の慧眼に感心しています。

 

1才を迎えた頃、全身に原因不明の発疹と高熱が出ました。

治るまで、1~2週間かかったと記憶しています。

 

あれはなんだったんだろうと思っていたのですが、

息子が幼稚園に入園した時(年少さんから入園)

同じ病状になったのです。

 

やはり原因は不明でした。

1才頃の息子は、卒乳していました。

 

大好きなおっぱいから離れ、

普通の食材を口にする頃に相当しています。

また、幼稚入園時は、当然初めてづくしの毎日です。

 

息子にとって、生まれてからの、

なじんで快適だった状態から未知の状態に移り、

大きな刺激だったのは容易に想像できます。

 

その変化におののき、受け入れることができずに、

拒絶反応として病状が出たのではないかと、今は解釈しています。

 

繊細な性質の表れとして、好き嫌いが激しいということがあります。

刺激に敏感なせいです。

 

特に食べ物に顕著で、これには困っています。

それでも息子なりに強さを身につけました。

 

息子が小学6年生の時、父親を病気で亡くしています。

息子は、葬儀やその後の日々で少しも泣かなかったのです。

 

ある日私が尋ねてみると、死期を悟った父親は、

息子を呼んで話をしていたのでした。

 

病気がひどく、長く生きられないこと、

今後、母親を助けていくようにといったことです。

 

その時息子は大泣きしたそうですが、

それで思い切りがついたのでしょう。

 

もう泣く必要がなかったというのでした。

その話で、私は、息子なりの強さを身につけているのだと思いました。

 

尤も、私を助けてくれるようになったのは、

高校を卒業してからです。

 

繊細な性質と関連するのかもしれませんが、

息子は素直なお利口さんです。

 

幼い頃から、禁止事項を破ったことはありません。

言われたことは素直に聞きます。

 

但し、成人した今では、いくら言っても覚えないことが増えてきて、

幼い頃の方がお利口さんだったかもしれません。

 

昔、息子の七五三に、写真館で写真を撮ってもらいました。

その時、息子は写真屋さんから「もっと笑って」と何回も言われていました。

 

もう顔が強張っていたに違いないのに、

息子は頑張りました。

今、お口を開けて笑顔を作っている息子の写真を見るたびに、

頑張った息子が愛おしくてなりません。

 

夫も私も、親からは厳しく育てられました。

夫は明らかに虐待、暴力だろうという扱いを、

父親から受けていました。

 

夫が、自分の受けた仕打ちを息子に連鎖させず、

慈しんでくれたことには、心から感謝しています。

 

夫婦共に心に深い傷を負っていたので、

息子にはそんな経験をさせたくありませんでした。

 

もっとも夫婦間で、育児の考え方が必ずしも合致しませんでしたが。

結局私が押し通してしまい、夫はかなり傷ついたようでした。

私は、何年も後に悪いことをしたと反省しました。

 

さて、育児をする上で、私が最も重要視したのは、

息子に安定した精神を育むことでした。

 

それには自己肯定感が絶対に必要だと考え、

その考えに沿った育児を行いました。

 

極端に言えば、自己肯定感が育っていれば、

育児の9割は成功だと考えていました。

この考え自体は、今も正しいと思っています。

 

私は自己肯定感、安定感を持たないまま成長し、

育児に突入しました。

 

私は常に不安を抱え、精神的な足元がまるで柔らかなスポンジのようで、

様々な困難を感じていました。

そのことが私の生きる上での障害でした。

 

自己肯定感、安定感は人を伸びやかにします。

新しい世界、自分の思う道へ進む上で不可欠な原動力です。

 

私は育児について勉強し、それを確信しました。

そして私は、育児で最優先と位置づけたのです。

 

息子は大きな問題も起こさず、成長しました。

お友達関係については、私に助けを求めることが多く、

「そのくらい自分でなんとかしろよ」と思いながらも、

できるだけのフォローをしてやっていました。

 

中学校2年までは順調で、

私は育児方法が間違っていなかったとほくそ笑んでいたのでした。

 

衝撃を受けたのは、中学3年生のゴールデンウイーク明けです。

息子は不登校になってしまいました。

 

中3ですから、当然、受験も控えています。

私は本当に、どうしてよいかわかりませんでした。

 

私は自分の育児が間違っていたのかと悩みました。

本筋に誤りがあったとは思えませんでした。

 

ではやり方が間違っていたのだろうか。

私は元々叱ることが苦手です。

 

その上に自己肯定感を優先して、

息子をほとんど叱っていませんでした。

 

夫は、もう少し厳しくした方がいいと主張していたのですが、

私がごり押ししたのです。

夫がいないことが、より私を偏らせてしっまったのだろうかと思いました。

 

息子はトップレベルの高校を志望し、

頑張り続けましたが、届かず、不本意な学校に入学しました。

 

結局そこでも不登校になり、通信制の高校に編入。

その後高校卒業認定を取り、大学を受験しましたが、

うまくいきませんでした。

 

息子と色々話す中で、息子には自己肯定感が

うまく育っていなかったことが判明しました。

 

本当に私はショックで、全身の力が抜けました。

前述の通り、育児方法の本筋に誤りはなかったと思います。

 

やはり、導き方がまずかったのでしょう。

また、繊細で敏感な息子の性質も考慮できなかったのも、

敗因だったかもしれません。

 

今、私は、より息子に合ったやり方で、

息子に寄り添っていってあげようと考えています。

《管理人コメント》

不登校の原因については、管理人がコメントできるほど簡単な問題ではないと思います。

投稿していただいた方は早くに旦那さんを亡くされて、

母子ともにご苦労されていることと思います。

それだけに、息子さんはお母さんを心配させることなく、

逆にお母さんのことを支えてほしいと思いますし、

いずれはそうなるものと期待します。

学校になじめない子供たちにもさまざまなタイプがあります。

学校に行かなくても、親がごはんを食べさせてくれれば生きていけます。

しかし、成人して親御さんが他界してしまえば、自分で稼ぐしかあません。

不登校よりもはるかに深刻な、成人してからのひきこもり・・・・

フルに働くことができなくても、短時間でもいい、仕事をすべきです。

学校に行かなくても、仕事はできます。 

仕事を通して、様々な技術・経験を磨くことはできます。

大切なのは学校ではありません。  

極論ですが、学校なんてどうでもいい。

大切なのは働くことです。 稼ぐ力です。 

稼がなければ生きていけません。

管理人は小規模企業の経営者ですので、

ついつい経営者目線のコメントになってしまいますが

ご容赦ください。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA