子育ての秘訣の1つ、たくさんの経験をさせてあげること!

彼女が最初に仲良くなった友達はダウン症の男の子でした。

娘は国立福井大学に合格し、無事卒業、

現在は社会人5年目です。

 

就学まで

娘は小さい頃から、じっとしているのが苦手で、

年中動きまわっている落ち着きのない子供でした。

 

おっとりとした長女とは正反対で、

次女の面白いキャラクターには、ビックリさせてもらったり、

笑わせてもらったり、正反対の性格姉妹の子育ては、

今振り返ってみれば貴重な楽しい育児だったのかなと、

しみじみ思います。

就学前には字の読み書きが出来るようになっていた長女に比べて、

全く興味を示さなかった次女。

 

看板の字を見せては教えようとしても

「眠い」と言っては上手にはぐらかす始末。

 

ほとほと困っていた私に

「字の知らない時代も案外貴重かも。

その内覚えるから大丈夫だよ」と父

(娘にとっては祖父)が言ってくれた事がありました。

長女と比べたらいけないなと反省した事を思い出しました。

 

年齢に比べ小柄な娘でしたが先ずは健康作りが一番と思い、

「早寝早起き」の習慣はしっかり心かけていました。

 

又食事にムラがあり心配したこともありましたが、

食事するのは楽しい時間を共有するものとして、

居心地いい食事タイムも努めていました。

 

近所には娘と同じくらいの子供が沢山住んでいたので、

子供同士の行き来が頻繁に行われ、

異年齢の子供と一緒に、

のびのびと大らかな子供に育ちました。

 

当時東北に住んでいたのに

何故か南国育ちのような小麦色の肌の娘になっていました。

 

毎晩の歯磨きと絵本はいつの間にか習慣づいていました。

何度も読み聞かせした本などはすっかり暗記して、

一人で口づさんでいた事も思い出します。

 

よく姉とジグゾーパズルに夢中になっていた事もありました。

その時だけはじっと無心に

パズル完成に向けて集中してた姿思い出します。

時に自分でオリジナルのパズルを作ったり、

色々楽しい遊びを姉としていました。

 

小学生時代

字の読み書きが不十分のまま、小学校に入学しました。

しかし先生の丁寧な指導により、

最初は鏡文字やら、

微妙に違う独特なひらがな文字も多かったが、

いつの間にか出来るようになり本当にホットしました。

 

主人の転勤で小学校は2度転校しました。

小学校1、2年は福島で、

3年の春から5年までの3年間は福島で、

6年生は愛知県で小学校時代を過ごしました。

 

広島に転校したばかりの3年生新学期の事です。

彼女が最初に仲良くなった友達はダウン症の男の子でした。

 

クラスには時々出席し

彼女の席と近くだった事もあり親しくなったそうです。

 

担任の先生の話では、

いつも娘の方からその男の子にくっ付いて、

色々世話をしていたそうです。

 

いつもしてもらっている側の娘だったので、

張り切って世話していたのでしょう。

 

娘は3月末生まれで、クラスで一番小さい身体。

男の子の方は大柄。

 

ある時体育館に移動する時、

男の子が駄々をこねたそうです。

 

困った娘は大きい男の子をおんぶして

体育館まで連れていったと聞きました。

 

何しろ小柄な娘、

体育館までおんぶしていく途中一度大きく転んだそうです。

男の子に怪我がなかったのは幸いだったけど、

彼女はヒザとヒジに擦り傷が出来たことがありました。

 

時に男の子の家に遊びに行ったり、

我が家で一緒に遊んだりとても仲良くしていました。

沢山の友達と仲良く遊んでいる

心の広い娘の優しさにはほっこりさせられまた。

 

小学校に入っても相変わらず落ち着きのない娘でしたが、

近所の公民館でバレエ教室があるという情報を知り、

転居間もなくではあったが、

早速娘をバレエ教室に入れる事にしました。

 

丁度同じクラスの仲のいい友達も通っていたので、

二人仲良く通っていました。

 

もともと動く事が好きだった娘にとって、

バレエとの出会いは本当に良かったと思っています。

 

レッスンする姿はとても生き生きとしていました。

ちょろちょろ動きまわる余ったエネルギーが

バレエに注ぐようになったのでしょう。

その内、週1回の公民館でのバレエのレッスン以外にも、

先生が開いている街中のバレエ教室まで

バスと電車を使って通い始める事になりました。

 

自分一人で通うと宣言する娘に思わず娘の成長を感じました。

とにかくお調子者で、甘え上手な娘だったのに…。

娘の成長に胸が熱くなりました。

 

そして同世代の生徒が集まる中、

刺激を受けながら厳しいレッスンに、

弱音はくことなく励む娘の頑張りにも嬉しくなりました。

 

バレエは愛知県に移った6年生までで終わったが、

中学校の新体操クラブにも入部し、

良い姿勢、良い歩き方が身体に染み付いたこと

本当に良かったと思っています。

 

今でも擦り切れたトゥ・シューズが

頑張った証拠に何足か記念に残っています。

 

色々な転勤先で瞬く間に方言を使い

友達と会話していたのには驚きました。

 

転校という体験でいつの間にか順応性が養われていたのだろうか。

転勤先の土地はもちろん、自分の住む日本を知る為に、

高校までは、度々家族揃って旅行に出かけていました。

観光名所や様々な博物館・美術館、その土地独特な行事など、

実際に子供の目で見せてあげたり、体験させてあげました。

 

海道網走にある「オホーツク流氷館」では

北の本当の寒さを体感したり、

東北の四大祭りでは、威勢のいい活気を肌で感じたり、

京都の三大祭りでは、歴史を感じる事が出来たと思っています。

大阪にある国立民族博物館では色々な民族に触れ合ったり、

音楽の静岡では浜松楽器博物館や

浜名湖オルゴールミュウジアムで

一日楽しい楽器に触れとても喜んでいました。

今でも写真を見るとその時の楽しかった事を思い出すそうです。

遊園地だけではなく、歴史好きな主人は、

子供達を色々なお城にも連れていっていました。

 

有名なお城から城蹟まで、

エピソード話を交えて娘達に興味が湧くように

沢山話していたのを思い出しました。

 

子供にどこまで伝わったか不明だったけど、

社会科の授業で教えてもらった城の事思い出した事もあったそうです。

 

又ガーデニングが好きな私達夫婦と一緒に花だけではなく、

菜園も楽しみました。

小さなベランダだったがトマトやピーマン、イチゴ、キュウリなど

収穫の喜びを沢山経験する事が出来たことも

とても良かったと思っています。

 

小学校時代の色々な体験を

子供と一緒に経験した事はとても貴重なことだったと感じています。

 

学習面では、毎週週末には

娘の勉強をチェックするように心かけていました。

つまづきを早めに見つけることは大切だと

上の子で反省した事があったので。

そして夏休み、冬休みには

市販にドリルで復習せてた覚えがあります。

 

中学校時代

部活は新体操を頑張っていました。

クタクタで帰宅することも多く、

中学校生活に慣れない頃は夕食・お風呂の後は

すぐに就寝に入る事も多かった記憶があります。

宿題などはやはり気ががりだったのでしょう、

朝早く起きて勉強していました。

 

1年の頃は、自学自習で頑張っていましたが、

2年からは週1回英語塾に通い始めました。

 

個人塾で、一人一人丁寧に教えてもらいました。

それぞれ違う課題を与えられたり、

先生に勧められ沢山の英語の本を読んだりするうち、

段々英語が楽しくなってきたそうでした。

 

今思えば、個人塾にして良かったと思っています。

しかしよく寝る子で、それだけが気がかりでしたが、

自分なりに「無理な計画は立てない」をモットーに

スケジュールを立てて勉強していたようでした。

 

親としては見守るのみで、

健康管理だけはしっかり観察するように心かけていました。

 

高校受験では英語が強い戦力になり

それが自信にもなったようでした。

 

高校生時代

殆どの生徒が大学受験を見据え、塾に通っていたようでした。

娘は先ず部活を優先し塾へは2年生から通うことにしました。

 

幸いな事に高校側も長期休みなどには補習授業に力を入れ、

学習の事で親身になってくれる先生も多くいらっしゃったこと

とても感謝しています。

 

娘の入った塾は大手進学塾で、

クラス別に分けられ、

他校の生徒達との勉強は刺激になったと言っていました。

英語と生物の2教科でしたが、

夏季講習・冬期講習などは、彼女の希望で数学、

歴史など教科を増やし頑張っていたようでした。

 

又塾には自習室もあったので、集中出来たそうです。

2年の冬頃からやっとスイッチが入り、

積極的に取り組んでいたようでした。

 

歴史好きの主人の影響もあり、

歴史好きの娘が、全校内で1番になったことも嬉しく、

それが自信になり受験勉強に拍車がかかったみたいでした。

 

受験勉強で根詰めそうになった時は、

大好きな料理作りで気分転換を図っていました。

 

自分のペースをしっかり守り、

リフレッシュタイムを上手にとっていた娘を

親として褒めてあげたいと思っています。

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