進学校で挫折気味の子どもを復活させた母の言葉

私の放った厳しい言葉で息子は再起しました

教育熱心なお母さんと優秀な息子さん

3人の子供を育てました。2番目の息子の話です。

息子は、子供の頃から、いわゆる賢い子供でした。

買ったものよりも自分で、何かを工夫して遊びを構築していくような子供でした。

 

ある日、子供部屋の床に 鍵を100本くらい打ち付けて、

そこへ、ゴムを結んでいって、迷路を作っていたのを見たとき、

怒るよりも、すごい!と褒めてしまいました。

だから、3歳上の娘の一年生の算数の教科書を一人で読んで、

答えをかいてあったのには、驚きませんでした。

娘は、「やったぁ、ありがとう。やらなくてすむ〜」と大喜びしていました。

 

毎日.二人の子供に10冊の絵本を読んで聞かせていましたが、

次の日には、覚えていて、二人で、寸劇のような言葉劇のやっているのは、

見ていて とても、嬉しかったものです。

 

長女も、本好きでしたから、一年生のころには、

もう、四年生の子供が、読むような本を自分で、読んでいましたから、

弟に向かっても、私の真似をして読み聞かせをしていました。

 

だから、息子の読書量といったら、すごいものだったと思います。

息子は、勉強が好きな子供に育ちました。

好きというより、好奇心があり、

学習塾を経営していた私の授業に現れては、

新しいことを習って帰りました。

 

息子は、どの学年も自由に出入りして、

小学校の低学年のうちに、中学生の数学がら得意になりました。

が、別段それを褒めたりもしませんでしたし、

もっとこうしたらという指導もしませんでした。

息子は、息子で、わからなくても、私たちには、訪ねませんでしたし、

私も教えませんでした。

が、なぜか、身についていったようでした。

上の娘は、興味がなかってのか、数学の授業には、入ってきませんでした。

が、英語の授業には、頻繁に入ってきて、英語で喋って、

「黙りなさい!」としかられるようになったようです。

 

バイオリンを習いたいと言ってきた息子

さて、息子は、バイオリンを習ってみたいと言い出しました。

家には、私の古いピアノが、ありましたが、

私も夫も弦楽器の経験は、ありませんでした。

 

夫の母親は、音大出のアマチュアのソプラノ歌手でした。

アマチュアですから、歌手とは、いえませんが、

自分で、リサイタルを開くような人でした。

 

そんな影響もあり、夫も、休みの日には、ドイツ語の歌曲などを

私のピアノ伴奏で歌うことが、ありましたが、

そんな影響でしょうか 息子は、バイオリンを習い始めました。

自分が、習うといったことは、嫌なことが、あっても

しんどいことが、あっても、続けるということが、約束でした。

 

息子は、真面目によく練習をしました。

その一環で、ピアノも習いました。

 

娘もついでに習いましたが、娘より、息子の方が、上達がら早く、

一年で、すっかり、弾けるようになりました。

初見で、夫の歌曲の伴奏が、できるようになったのですから、

驚きでした。が、やはり、ピアノではなく、バイオリンに夢中でした。

 

息子が四年生のころ、娘が、中学受験をして、

私学の中学校に合格しました。

すると、息子は、もっと難しい学校を受験したいと言い出しました。

そこで、進学塾に通うかどうか、本人に聞きますと、

進学塾に通っても、その学校に入学したいと言いましたので、

進学塾に通いました。

 

息子は、進学塾の模擬テストで、いい点数をとりましたが、

夫は、「それが、一番大切なことじゃない。

一番大切なのは、今、一生懸命、頑張ることだ。」と話しました。

 

息子は、夫のいうことが、よくわかっていたので、

勉強さえできたらいいという小学生には、なりませんでした。

進学塾へかよいながら、膨大な量の宿題をこなしながら、

地域の小学生とも、よく遊びました。

息子は、見事、合格しました。

 

進学校に入学

それは、過酷な学校でした。私も夫もしまった!と思いましたが、

もう、あとのまつりでした。

 

息子は、それでも、健気に勉強をしましたが、あわなかったのか、

学習意欲を失っていきました。

 

そんな息子の姿を見て、私は、学校をやめさせて、

地域の中学校へ行かせようと考えました。

が、息子は、「おばあちゃんが、悲しむからやめない」と言いました。

母は、息子が、県下で有名な中学校に入った息子が、自慢でした。

それを 息子が、思いやったのです。

 

勉強をせずに、ただ、学校に四年間、通いました。

成績は、どんどん下がっていきました。

入った時は、トップクラスだった息子は、

高1に下から2番目のクラスになっていました。

 

ところが、高2の夏を過ぎたころ、

私が、「毎日、学校は、寝るためにいくのだったら、家から出ていってもらう」

と言ったのです。

 

なぜそんなことを言ったのか覚えていませんが、夜遅く、息子は、出ていきました。

もちろん、私は、娘と二人で、血眼になって探しました。

今 おもえば、出て行けと言って、出ていった息子をすぐに探しにいくのですから、

言わなければ良かったのです。

 

一晩、息子は、帰ってきませんでした。

夜、寝ずに、探し回りましたが、結局、見つけることが できませんでした。

次の日の昼ごろ、息子は、帰ってきました。

「お母さん、僕、目指すものが、何か、考えてきたから、

今から大学に向けて勉強するよ。」と言いました。

 

やる気を取り戻した息子

それから、大学受験までの日々の息子の努力は、すごいものでした。

とにかく、四年間、勉強をしてきていなかったのですから、

取り戻すことから、始めたのだと思います。

 

睡眠時間4時間の毎日でした。

眠たいと思ったら、遠いところまで、マラソンに出かけ、

帰ってきたら、また、勉強をしました。

そして、念願の大学に合格しました。

 

子供の人格も変えてしまうかもしれないような進学校に進学させてしまい、

どうなることかと心配で心配で、

優しい言葉もかけてやれなかった六年間でしたが、

息子は、卒業式の前の日、お弁当箱をきれいに洗って、

「美味しいお弁当を六年間ありがとう」と言いました。

 

私は、「お母さんが、敷いたレールの上をひたむきに走らせて、悪かったと反省しているよ。

ごめんよ。よく、ここまで 頑張ったね。」というと、

息子は、「わかったらいいよ」と言ったのです。

 

私は、密かに、そんなことないよ。

しんどかったけど、行って良かったよ。

という言葉を期待していました。

が、その言葉は、聞けませんでした。

私は、親として、ほんとうに、息子にすまないことをしたと後悔しました。

 

そんな息子も今は子育てパパになりました

息子は、今、大きな銀行のニューヨーク支店に家族を連れて赴任しています。

孫である息子には、自由で、楽しい青春を送らせてやることでしょう。

年老いた私達には、気遣いの言葉をかけてくれるようになりました。

管理人のクレヨンしのちゃんです

息子さんが入学した進学校がおそらく肌に合わなかったのでしょう。

まだ、若いので、そんなこともあるでしょう。

自分探し、手探り、模索の年代です。

でも、いつまでもその状態を続けるのは甘えです。

あるタイミングでお母さんがガツンと一発くらわしたのは、

親として当然だと思います。

それができない親は子供をダメにします。

それが子どもに対する真の愛情だと思います。

 

義務教育以降は子どもに勉強を強要することはできません。

勉強しないのであれば、社会に出て働けばいいのです。

仕事をして、失敗して、怒られて・・・それは、学校で漫然と勉強するよりも有益なことです。

学校の勉強が嫌であれば働けはいいのです。

でも、この息子さんは勉学の道を選びました。

「家から出ていけ!」 発言は昔はお父さんの役割でした。

お母さんが、それを言ったのはあっぱれですね。

ただし、これは際どい荒療治ですので、それぞれのご家庭の判断で

状況に応じて対処された方がよいでしょう。

 

管理人クレヨンしのちゃんが感銘を受けた、子育てのお悩み相談の動画がありますので

下記に添付します。

大愚元勝というお坊さんの動画ですが、事業経営もされている方で、たいへん鋭い視点で

問題点の本質を見極め、解決策を提示しています。

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