国立大学に合格した娘さん・お母さんの子育てエピソード

教育に関してはプレッシャーをかけることはありませんでした。

私の娘は5年前に、埼玉大学の教養学部に合格しました。

現在は、ベンチャー企業に就職して、社会人として働いています。

 

我が家は、東北地方の一般家庭で、主人(娘の父)が国家公務員、

私が会社勤めをしている家庭で、

主人の両親、私たち夫婦、そして娘と2歳年下の息子の6人家族でした。

割と古風な家で、比較的子どもたちのしつけは厳しかったです。

 

娘は、幼稚園も自分で選びました。

幼稚園の先生から附属小学校の受験を勧められましたが、

私も主人も学習よりも人間的に恥ずかしくない子に育ってほしいと考え、

地元の公立小学校に入学させました。

 

小学生時代

私も主人も高卒で働いていますので、

娘には小学校に入った時から

「お母さんは勉強は教えられないから、学校の先生の言うことを良く聞きなさい。」

と教えていました。

ただし、家でも「勉強しなさい。宿題しなさい。」と言ったことは一度もなく、

娘は学校の宿題は自分でやっていました。

成績は中の上だったと思います。

塾に通うこともなく、小学校の中学年までは元気に外で遊びまわっていました。

主人は本が好きで、休みの日には子どもたちを本屋によく連れて行って、

しばしば本を買い与えていたので小さい時から

子どもたちは自然と本に慣れ親しんでいました。

 

娘は、小学校の高学年になると周囲の子ども達と同じように、

そろばん、習字、ピアノ、水泳を習いたいと言って通いました。

そしてソフトテニスのスポーツ少年団にも入り、

週末はテニスに打ち込んでいました。

勉強は以前と変わりなく、宿題だけやっているという感じでした。

特に英語の早期教育もしませんでした。

 

テニスに来ている子どもたちの多くが、附属小学校の子ども達で、

1つ上の女の子がテニスをするために公立の小学校から

附属中学校を受験して合格したことに娘も影響されて、

中学受験をしたいと言い出しました。

 

この時、娘は初めて学習塾に通いました。

とは言っても、小学校6年生の1年間、週に2回、

夏休みや冬休みの講習に参加した程度です。

 

塾の学習は、学校のものとは比較にならない難しさで宿題も多かったので、

悩みながら一生懸命やっていました。

 

私は一緒に考えることは何度かしましたが、

勉強を教えたことはありませんでした。

主人も同様で、テニスの練習の送迎や応援は欠かさず行いましたが、

勉強についてはあくまで本人が必死でやっている感じでした。

 

中学生時代

幸運にも、娘は希望していた附属中学校に合格して毎日テニスに打ち込んでいました。

小学校高学年ではトップクラスの成績だった娘ですが、

さすがに附属中学校に入ると、今までの様な宿題だけの勉強では不十分で、

また最初の定期試験では勉強の仕方が分からず、

平均辺りの順位を取って悔しがっていました。

 

更に、早期の対策をしていなかった英語は本当についていくのがやっとのようで、

どんどん成績が下がってしまい、

本人が塾に通いたいと言い出しました。

 

たまたま知り合いで個別指導をしている方がいたので、お世話になりました。

この方は、私よりも少し年配の方ですが、海外経験があり、

色々と娘の私生活や学校生活の悩みなどの相談にも乗ってくださいました。

 

娘は、英語の学習の仕方が分かるようになり、

同時に中学校にも慣れたせいか、勉強の仕方もスムーズになり、

2年生の最初の試験では1ケタの順位に上がりました。

 

そのことで、学習面にはかなり自信が持てたようで、

そこから中学校卒業までは成績が下がることはありませんでした。

 

ただし、他のお子さんと同じように、娘も反抗期に入り、

家ではほとんど話をしなくなりました。

食事は家族一緒にしていましたが、最低限会話しかなく、

親としても正直娘が何を考えているのか分からないような時期でした。

 

加えて2歳下の息子が学校で色々と問題を起こし、

主人と私はそちらにかかりっきりで、家の中がギスギスしてしまい、

娘は余計にイライラしていたと思います。

 

それでも、娘は英語の個別指導の先生や学校の担任の先生と

非常に良好な関係を築いており、

とても信頼して頼っている様子がわかりましたので、

親に言わなくても、周囲の大人の方に相談できているなら大丈夫かな

と見守っていました。

 

友人達にも非常に恵まれて、

友人たちのお母さんから色々な情報が入ってくるのを聞いていると、

学校では一生懸命生活しているようで、ある意味娘を信用していました。

時折、体調を崩すことがあり、

精神的にストレスが多くなっているのかなと感じる時期はありましたが、

何かを聞いても答えてくれるわけでもないので、

必要な時はサポートするよ!というスタンスで接していました。

 

一度夜遅くに学校の先生から娘に電話が入り

何か問題があるようでしたが、主人と相談して、

結局主人が「何か問題があるなら、お父さんもお母さんも大して何もできないけど、

いつもお前の味方だからな。」とだけ伝えました。

娘は、この言葉にだいぶ救われたと、後になって話してくれました。

中学時代は、娘がどんどん遠くに行ってしまうようで、

親としても不安は大きかったのですが、

とにかく近くで見守るということと、

娘を信じることを貫いて良かったと思います。

 

また、健康管理はしっかりやろうと思い、

食事はどんなに忙しい時でもお弁当を持たせたり、

家でも力の付きそうなものを準備していました。

 

娘は色々悩んでいて、首都圏の高校を受験するか、

テニスの強い学校へ行くか、地元の進学校へ行くかと考えていましたが、

色々な方の助言もあり、最終的には地元の公立の進学校に進学しました。

英語の個別指導以外には一切塾に通うこともなく、

自分で勉強をしていました。

高校生時代

さすがに高校に入ると、学習のペースも更に速くなり、

理系を選択した娘は医学部を目指すクラスメートも多く、

中学校の時の様な成績を取ることは難しくなりました。

 

加えてテニスも相変わらず続けており、

ほとんど学習する時間は家で取れなかったので、

学校の休み時間などの隙間時間を有効活用していたようです。

 

高校時代は、理系の科目には興味があるようでしたが、

国語や英語は相変わらず成績が今一つでした。

転機になったのは、高校2年の夏休みにニュージーランドに

1か月短期留学をしに行く機会があり、

そこで英語の楽しさには目覚めたようでした。

 

また、そこで将来についても明確に考え出したようで、

英語の教員を目指し始めました。将来的には、

海外に行くことも考えていたようです。

 

それから、英語については猛勉強して、

学校の成績も模試の結果もかなり上がっていきました。

周囲には予備校に通う友達も多くいたようですが、

娘は結局最後まで予備校には通わず、

苦手な科目は医学部を目指す友人たちに教えてもらっていました。

 

部活をしながら、時間を見つけ、

休みの日には時間を惜しんで勉強していました。

また医学部を目指す友人たちのノートなども非常に参考になったようです。

反抗期は過ぎていて、色々と話はするようになりましたが、

私たち夫婦は進路の相談に乗ることもたいしてできなかったので、

できる範囲でのアドバイスだけしていました。

 

そして、中学校の時と同様に、健康管理は徹底して行い、

特に遅くまで勉強している時には、早く寝るように声をかけたりしました。

 

主人は、息抜きにバッティングセンターに誘ったり、

ドライブに連れて行ったりしていることもありました。

 

現在娘は大学を卒業して、英語関係の仕事についていますが、

就学前に気を付けていたのは、興味のあることを大事にすることでした。

 

娘が幼少期のころの想い出ですが、車に乗っていて、

街の看板などを読むときには一生懸命付き合い、

本も多くそろえて子どもが興味を持てるようにしていました。

 

ただ無理にひらがなを教えたりはせずに、

できるだけ親子で過ごせる時間を大切にして、

おやつを一緒に作ったり、歌を歌ったり、

公園で遊んだりを行っていました。

特別なことはできませんでしたが、

子どもが好きなことをできるようにサポートしてきました。

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